創業インタビュー連載企画
まちの主人公たち
第6回「株式会社Iron」蒲生 憲明さん
まちのあちこちで、静かに、でも確かな情熱をもって動き出している人たちがいます。
こだわりのつまったお店、店主のセンスが光るお店、笑顔があふれるお店――すべてのお店に、創業までのドラマがあります。
本企画では、まちなか近隣でお店を構える個人事業主の方々にインタビューを実施。
「どうしてこの道を選んだの?」「一歩目を踏み出したきっかけは?」
リアルな声とともに、起業という挑戦の裏側を覗いてみませんか。
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「楽しい」が経営の核。創業15年を迎える経営者が語る、苦難を乗り越える哲学と次なる挑戦
都城市内に3店舗の飲食店を経営し、(「CAFE&DINING LIBERARHYTHM」「わしの脇腹(カレーうどん専門店)」「カドの食堂」)商品開発事業も展開する蒲生さんにこれまでの人生や経営哲学、そしてこれから起業を目指す人々へのメッセージを伺いました。
蒲生さんは現在42歳で、会社を設立して丸14年が経過し、来年で15周年を迎えます。
27歳の時に「CAFE&DINING LIBERARHYTHM」をオープンされました。
創業前のキャリアについてお聞かせください
高校卒業後、地元都城を離れ福岡へ。保育士の学校に通いながら様々なアルバイトを経験しました。
夜は福岡で有名なバーでアルバイトしたり、昼間は高級アパレルやカジュアルアパレルで働いたり、子供が好きだったのでヒーローショーで悪役を演じたりもしました。
バーテンダーの道に進むきっかけは?
20歳の頃、バーの店長になるか迷っていた時に、先輩から『人生の地図(高橋歩 著)』という本を渡されました。
人生を「旅」に例え、自分だけの地図を描くように自由に生きることを応援するメッセージが込められおり、それまでの人生を大きく変えるほど衝撃を受けました。
その本を読んで、バーテンダーとしてやっていこうと決意しました。
その後、福岡で15時から翌朝9時まで働くという生活を3年間がむしゃらに続け、そのあと都城へ帰郷しました。
都城に戻られた当時の状況と、飲食業へ進まれた背景について教えていただけますか?
福岡から都城に戻ったのは、正直なところお金がなくなって生活が厳しくなったからです。
都城に戻ってどうしようかと途方に暮れていた時に、都城まちづくり株式会社の求人を見つけて入社することになりました。そこで平川さん(当時の事務局長)と出会ったのは大きな出来事でした。
しばらくの間、都城まちづくり株式会社で人脈を広げながら経験を重ね、その後本格的に飲食業へ参入することになります。
蒲生さんの事業の主体である飲食業は、コロナ禍で最大のピンチを迎えました。
コロナ禍の状況と、その中で学んだことは何ですか?
コロナは最大のピンチでした。飲食業は、サプライチェーンの変化、物価高騰、人件費高騰など、状況の変化にこんなにも弱い職業だったのかと痛感しました。
振り返ると、創業10年で数千万円の借入れを完済し、「ここから新たなスタートだ!」と意気込んでいた時期に、コロナ禍が直撃しました。
再び借金が増え、「もうやめれないぞ」という気持ちになりました。
営業スタイルはどのように変化しましたか?
まずテイクアウトを始め、お料理を個別に盛り分けるようにし、夜のアラカルト営業をやめました。
危機を乗り越えるために何を重視しましたか?
地域との連携を図るのがとても早かったし、うまかったと思っています。テイクアウトメニューを作ると、プレスリリースを出したらすぐにテレビ局が取材に来てくれました。
テイクアウトの提供先を、病院、医療従事者、金融機関、公共機関といった、すでにノウハウや面識がある先に明確に定めていきました。
蒲生さんがビジネスを行う上で重視しているのはどんなことですか?
商売は、「人にお客さまをつける」か「商品にお客さまをつける」かの二択に分かれると考えています。
特にバーやスナックなど飲食店では「あの人がいるから行こう」と人に客がつくことが多いです。
以前は「人=自分に客をつける」商売をしていましたが、このままでは「自分自身の身を滅ぼす」し、これ以上の成長が見込めないと思ったので、大きくシフトチェンジしました。
私自身が経営のすべてをカバーする個人主義的な会社スタイルを捨て、それぞれのスタッフが強みを発揮するスタイルへのシフトチェンジしたわけです。
組織のリーダーシップについて、ご自身をどう分析されていますか?
組織のリーダーには、上からトップダウンで指示を出すボスと、先頭で皆と御輿(みこし)を担ぎ引っ張っていくリーダーがいますが、私はどちらでもなく「コーチング型のリーダー」だと思います。
スタッフには多くを言わず、みんなが働きやすい環境を整えることでそれぞれの主体性と強みを引き出し、組織を強くしていくスタイルです。
予約制のお店が増えていますが、重要な要素は何でしょうか?
予約をするという行為は、「そこじゃないと受けられないサービス」をお客様が認知しているからです。
予約制のお店にとって本当に必要なのは、圧倒的な(スタッフの)人間力だと思います。たとえ料理が100点でも、提供する人間に魅力がなければ半減してしまいます。
スタッフへの指導で特に重視していることは?
接客においては、特に言葉遣いを重視しています。例えば、「ブレンドコーヒーになります」ではなく、「ブレンドコーヒーです」と、「てにをは」レベルの細かな指導をしています。また、お客様の仕草から気持ちを先読みして行動することを指導しています。
蒲生さんのお店では若い従業員が多く働き、そして定着しています。その理由は何だと思いますか?
私は、スタッフと一緒に「メシを食う」ことを特に大切にしています。
夏前に従業員みんなでキャンプに行ったり、霧島の旅館を一棟貸し切って宿泊したり、年に一回のゴルフ大会「リベラカップ」を高級スニーカーや人気のゲーム機など豪華景品用意して開催したりと、楽しいことをみんなで共有しています。
アルバイトを含め多くののスタッフがいますが、基本的に休むことも全然OKとしており、従業員の働きやすさを重視しています。
創業以来、コロナ禍以外で最大のピンチは?
やはり人間関係の揉め事です。お金が絡みました。その時の教訓は、イニシアチブを渡さないこと、そして「いい人の顔をしている悪い人」を見抜く力を養うこと。当時、事業が崩れているように見え、人が離れていきましたが、離れてよかったと思っています。残ってくれた人たちは本当にいい人たちです。
いまのご自身の人生に満足していますか?
苦労や悩みはたくさんありますが、過去に戻りたいと思ったことは一度もないですね。人生に後悔はありません。
これから起業したい人たちへ、メッセージをお願いします。
やりたいこと、やりたくないことを3つずつ考えてください。そして、やりたくないことはやらない。その上で、自分がワクワクしたことだけをやることです。
ただし、自分のワクワクを家族や会社といった「ちっちゃな社会」で共感されなければばりません。
みんなが「面白そうだからやってみようよ!」と思えるのであれば、絶対にやった方がいいです。
また、私が考える理想の会社は、みんなが楽しく働けることです。生き生きと働いていない人間が、お客様に笑顔で接客できるはずがありませんよね。
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蒲生さんへのインタビューを通して、「楽しさ」が単なる雰囲気作りではなく、経営哲学の核であるということが深く理解できました。
美味しい料理が「前提」であり、その上で「人」や「サービス」で圧倒的な魅力を提供することの重要性。そして、従業員がが「楽しい」と感じる環境を整備することが、結果的に最強のサービスを生み出すという思想は、まるで、美味しい料理を提供するための土壌を、社長自らが愛情を込めて耕している姿に例えられるかもしれません。
この「楽しさ」という文化を通じて、蒲生さんは都城のまちなかに活力を与え続けています。
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■ LIBERARHYTHM リベラリズム ■ わしの脇腹 ■ カドの食堂 |




